道の両側に約7千本の桜が植えられ、春には桜のトンネルとして観光客に親しまれている 錦着山の西側、永野川に架かる上人橋を渡り、右に曲がると、そこが遊覧道路である。
昭和初期の大不況のとき、当時の長谷川調七(はせがわちょうしち)町長は、生活困窮者の救済事業として、太平山遊覧道路新設という、一大事業を提案し、昭和7年(1932)から9年(1934)にかけて総延長約4キロメートルの道路を完成させた。
その後、東武鉄道より寄付された、桜の苗木7,000本がその両側に植えられ、今、桜のトンネルとして観光客に親しまれている。 長谷川調七は、昭和16年(1941)没したが、有志の人々は、昭和30年(1955)4月、太平山遊覧道路のかたわらにその記念碑を建てて、これを讃えた。この碑のあるところを名付けて、長谷川平(はせがわだいら)という。